おむすびの味〜OMSB《ALONE》

That Shit Cray
16 min readNov 20, 2022

雲はつねに変化しているはずだが、その運動は名づけられる。名づけられた途端に、その運動は魂を持つ。つまり、何度でも転生、再生可能な魂となる。それは必ず、ふたたび訪れる
──岡﨑乾二郎(「ふたたび、うまれる」)

:おいしゅうございました。

:藪(やぶ)から棒にいきなりなんのこと?

:俺たちの大好きなOMSBのことさ。

:ああ、オムスか。五月にリリースされたサードアルバム《ALONE》は二〇二二年を代表する一枚といえる、すばらしい作品だよね。甲乙つけがたいけど、疾走感あふれるピアノリフが、曲名にも表されているとおり “次章” へ向けて駆けていくような〈Season 2〉が僕はいちばん好き。それから、渋谷のWWWで観たリリース記念のワンマンライヴもよかったなあ。いま思い返してもウットリしてしまう。前作収録の表題曲〈Think Good〉には思い入れがあったものだから、あの日パフォーマンスを見て、感極まり泣いちゃったんだよねえ……。

:男のくせに人前で泣くなんて、みっともないったらありゃしない。おかげで俺は顔から火が出るような思いがしたよ。当のOMSBも〈Think Good〉で「その女々しさ叩きなおせ」って言ってるぞ。

:うるさいなぁ。素直に感動したんだからべつにいいじゃんか。それにさあ、いまどき「男のくせに」だなんて時代錯誤も甚だしい。そんな昭和の親父みたいな台詞を平気で口にできてしまうほうが、よほど恥ずかしいことだと思うけどね。

:おっと、こりゃ失礼。まあ、〈Think Good〉はおまえさんにとって、心身ともにぼろぼろで死にたい気分になった夜に聴いては枕を濡らす大切な曲のひとつだもんな。このあいだも安室奈美恵の〈Baby Don’t Cry〉を聴いて鼻水ずるずるやってらしたようで。♪散々でも前に続く道のどこかに望みはあるから〜。

:ちょっと、恥ずかしいからそれは言わないでよ……。

:たしかOMSBと安室ちゃんのほかは、木村カエラの〈You〉、ビヨンセの〈Me, Myself and I〉、ブリトニー・スピアーズの〈Why Shoud I Be Sad〉だったっけ? ♪なんてつらいんだ〜(笑)。

:よせったら、まったく。この際だから僕も言わせてもらうけど、ムシャクシャしたときに超男根崇拝的なカニエの《Yeezus》みたいな音楽を聴きながら肩を怒らせて歩くのは、さすがに子どもじみてると思うよ。

:“その雄々しさ叩きなおせ”ってか?

:そうだね。雄々しさといえば、ZORN〈Passion〉の「ナプキン替えてこいや 女子便所」の一節でいちいち高揚するのもよくない。

:うぅ、眩しい……。政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)の光に照らされると俺は溶けてしまうんだ……。

:もう、君はそうやってすぐに茶化すんだから。それはさておき、さっき言ってた「おいしゅうございました」というのはどういう意味?

:今回の《ALONE》で、俺はOMSBというラッパーの “味” をようやく知ることができたんだ。もちろん、これまでもSIMI LAB時代から美味しく味わってはいたが、はたしておむすびの具材は何なのか、つまりOMSBはどういうラッパーなのかと訊かれても、答えに窮してしまうところがあった。

:おむすびの味か。さすが君、うまいことを言うもんだなあ。

:自画自賛をどうもありがとよ。

:たしかにOMSBはその唯一無二の存在感のわりに、なんとなく捉えどころのない印象がある。たとえば〈黒帯〉のようなゴリゴリの力強いラップを披露する豪胆さをもちながら、いっぽうでは卑屈というか、強さとは逆のいじけた気弱な表情も覗かせる。

:アメコミの超人の名前を冠した〈Hulk〉を筆頭に、〈黒帯〉では『ストリートファイター』の豪鬼、〈No Big Deal (F Zero)〉では『F-ZERO』のキャプテン・ファルコン(の台詞「Show me ya moves」)と、たびたびマッチョなキャラクターを引用していたな。

:対して、それこそ僕の好きな〈Think Good〉においては、「全てから逃げたくなる」「人のネガティブだけがよく目立つ」などと自己嫌悪を歌い、あからさまに弱さをさらけ出している。

:そう、二面性があるんだよ。この二面性のことを、俺は “引き裂かれ” と呼びたい。そして、その “引き裂かれ” こそがOMSBの醍醐味であることに《ALONE》で気づけたというわけさ。

:ほほう。もうすこし詳しく聞かせてくれる?

:このアルバムはとにかくOMSBの “引き裂かれ” が随所に現れていて、さっそく一曲目の〈祈り | Welcome Back〉から「後ろにいたいのに強い承認欲求」と、矛盾した心境が歌われる。

:出たっ、“引き裂かれ” だ。

:さらに、駄目押しで強調するかのように「裏表、半か丁」と “引き裂かれ” の記号が反復され、「どっちかに振り切るきゃねぇ」と腹を括る意志が語られる。〈祈り〉における “引き裂かれ” を考えるうえで実に示唆的なのが、「俺が逃げ出さないよう、俺が見守る/その俺さえシカト」の一節で、ここでは、逃げ出しがちなじぶんと、それを監視するもうひとりのじぶんにくわえ、そのもうひとりのじぶんをさらに外部から見据える第三の人物の視点まで導入されている。

:“俺” が三人もいるわけか。

:おまけに “引き裂かれ” の象徴としてコナンも登場する。

:「見た目は大人、頭脳は子ども/馬鹿なコナン君」の箇所だね。そういわれれば、コナン君こと江戸川コナンは本来の人格である工藤新一とのあいだで引き裂かれた存在だといえる。笑えるパンチラインぐらいにしか思ってなかったよ。いまの話を聞いて思い出したんだけど、引き裂かれた心境というと〈Hush〉もそうじゃない? あの曲のフックは……

AとB:(声をそろえて)♪あー 生きてるって最高だな/あー 生きてるって最低だな。

:こういう悲喜こもごもな感情を表すときに「ビタースウィート(bittersweet)」という言葉が使われるが、この外来語自体がそもそも “苦い” と “甘い” という相反するふたつの感覚に引き裂かれた表現でもある。

:おむすびの味はビタースウィートだった!

:〈Hush〉に限らず、OMSBの歌は反意語や真逆の概念の対(つい)が目立つ。一例を挙げるなら、前作《Think Good》の収録曲〈Scream〉はその傾向が顕著にみられ、「簡単な事ですぐフテる だけども簡単な事ですぐ上を向く」「ネガポジややこしくて面倒」「弱腰と勝ち気ブレンド」「直視 逃避 どっちも無理」といった具合だ。反省の視座が内面化されているというか。あるいは “引き裂かれ” ではないが、「誰かにとっての最高でも 誰かにとってのクソ野郎」「お前の綺麗な涙を見ると 俺の汚い心ざわめく」「お前の素直な言葉を聞くと 俺の捻くれた心が喚く」等々の対句表現も多く、独特のリズムを醸成している。

:OMSBに対して漠然と抱いていた捉えどころのなさっていうのは、そういうどっちつかずの “引き裂かれ” が理由なのかなあ。

:インタビューでは、妻とのつつましいながらもかけがえのない日々をうたった愛の歌〈One Room〉や〈大衆〉に触れつつ、家庭をもって暮らす市井(しせい)のひととしての自身と、人前に出て脚光を浴びるラッパーとしての自身との二面性すなわち “引き裂かれ” について指摘されていて、OMSB本人もその点は《ALONE》を制作するうえで意識したと話している。そのことは作中にも認めることができて、〈祈り〉で端的に「日常と非日常」と歌い表されていたり、〈Standalone | Stallone〉における「明日働くか? 瞬間探すか?」からも聴きとれる。

:うん。

:でもそれだけでは物足りない。《ALONE》ならびにOMSBというラッパーからほんとうに読みとるべきは、そうした仮面のように付け替え可能な公私の別にとどまらず、自己の内面を──まさにアルバムのアートワークで顔がぶった斬られているように──切断するもっと根源的な “引き裂かれ” だから。高橋三太がトランペットを縦横に吹きまくる長閑(のどか)な調子のビートから受ける印象も相まってか、〈大衆〉は、他愛のない日常や過ぎ去りし日の思い出を歌った牧歌的な曲として聴かれているのかもしれないが、俺はものすごく悲しい歌だと思ってる。

:“悲しい” ってどういうこと?

:「俺は俺 うまく扱えない/ほしいトリセツ」という哀願を聴いたか? “不器用な俺” と「死ぬまで付き合」わなければならないことにどうにか折り合いをつけようとしてるんだぜ? 諦念の滲(にじ)んだ「だってそうじゃん」の執拗なリフレイン──。これを悲しいと呼ばずして、なんと呼べばいいのか俺にはわからない。

:ああ。

:まるで他者と対峙しているかのように「付き合う」という表現を用いているところにも、やはり “引き裂かれ” を感じずにいられない。“素の俺” すなわち加藤ブランドン自体が引き裂かれている。この “引き裂かれ” は〈New Jack〉で歌われているような、OMSBのあまのじゃくな性分とも無縁でないだろう。なにしろ、あまのじゃくというのは……

:ちょっと待った。アマノジャク? そんな話、〈New Jack〉で歌われてたっけ?

:フックでしっかり歌ってるじゃん。「あまの〜じゃっく」って。

:いやいや、あの曲のフックは「アイム・ア・ニュージャック(I’m a new jack)」だよ。歌詞にだって書いてある。たしかにそう聞こえなくもないけど、さすがにこじつけじゃないの? タモリと安斎肇の深夜番組じゃあるまいしねえ。

:ったく、おまえさんはぜんぜんわかってないようだな。たとえば同曲のリリック中の「敵意剥き出しのGod Bless You」は、表向きは “神の御加護があらんことを(God bless you)” と多幸を祈りながらも、内心では “このクソ野郎が” と悪態ついてるってことだから。やってることと思ってることが矛盾している。建前と本音。つまり、あまのじゃくということ。

:うーん。そうともいえるけど。

:「お手上げのつもりが万歳」「Fuck Sign上げたつもりが喝采」といったリリックも同じく身振りと伝達内容が転倒している。「ダチョウ倶楽部」の名前が出てくるのも聴き逃せない。というのも、上島竜兵の言う “押すなよ” は要するに “押せ” ってことだからな。つまるところが、これもあまのじゃくの寓意というわけ。もしこうした一切がOMSBの仕掛けた確信犯的な陽動工作だとしたら、まぎらわしい曲名に則してご丁寧にも導入部分で映画『ニュー・ジャック・シティ』を引用し、カムフラージュないしミスリードを誘発しているところに、なににもましてあまのじゃく気質を感じてしまう。OMSBの呼びかけに応えて「ヒップホップの話」もしておくなら、ア・トライブ・コールド・クエストの作品のなかでは人気がない《Beats, Rhymes and Life》がお気に入り(〈LASTBBOYOMSB〉)というのも、ある意味、あまのじゃくといえるかもしれない。俺もあのアルバムは嫌いじゃないが。

:君の言いたいことはわかるし、それなりに説得力があるのも認める。けれど、OMSB本人はそんなこと一言も言ってないよね?

:もちろんだとも。作家の思いを汲んで伝えるだけの「インタビュー」や、ありもしない正解を言い当てることに終始した紋切り型の「解説」では決して語られないだろうな。でも批評は作者の拡声器じゃない。創造的読み替え行為だから。画布に描かれた林檎を評して、もっともらしい訳知り顔で「ふむふむ、赤くて丸い。ここに描かれているのは林檎である」と見たまんまのことしか言ってないのをわざわざ聞きたいか? たしかに見たところでは林檎なんだが、その赤くて丸い図像が実は林檎でない可能性を考えられるのなら、そっちのほうが面白いだろう?

:とはいえ、そういう君もついさっき参照していたように、インタビューだって、作品理解の一助となるだけでなく、ときには新たな発見にもつながる大事な仕事だと思うんだけどなあ。

:俺もその点を認めるのはやぶさかでないさ。それにしたって、ラッパーのインタビューばかりで作品評が皆無といっても決して大袈裟でない今のメディア環境はどうなのよ? 素朴に退屈なだけでなく、文化的にも貧しいと思うんだが。米ラッパーのリル・ディッキーことデヴィッド・バードが自身の半生を題材に制作し、みずからリル・ディッキー役として主演もこなすドラマシリーズ『デイブ』でも、苦労のすえに出来あがったデビューアルバムがピッチフォークでレビューしてもらえず落ち込むという一幕を描いていた──もっとも、あれは風刺ギャグだし、たとえレビューが載っても、けちょんけちょんに酷評されてやはり落胆するというオチがつくのだろう──が、作者の側だってじぶんの作品に対する評価は聞きたいんじゃないのか? これほどの大作である《ALONE》を前にして、レビューの一本すら書かれていない現状に俺は愕然(がくぜん)としてしまう。「類稀なプレイヤーなのに何故未来は暗いんだ」とOMSBに叫ばせているのは、いったいだれなんだ?……まあいいや、俺の本音はこの辺にして話を戻すと、OMSB的なあまのじゃくな性分というのは、建前と本音に引き裂かれているといえる。

:そういえば、SIMI LAB時代にはその名も〈Twisted〉(《Page 1: ANATOMY OF INSANE》収録)という曲があったけど、あまのじゃくは “ひねくれ者(twisted)” とも言う。

:「本音の本音はミッフィーしてる」と自身のヴァースを締めるOMSBは、この時点からすでに “引き裂かれ” の片鱗を示していた。また、本音を吐露できず建前的にふるまうよう強いられる姿からは、抑圧的な「社会」や「世間」みたいなものがおのずと浮かび上がってくる。建前と本音は、社会と個人のアナロジーとしても考えられそうだ。

:代表曲〈Uncommon〉の「普通って何?」にも通じるような話だね。

:強さと弱さ、生の苦しみと歓び(ビターとスウィート)、日常と非日常(加藤ブランドンとOMSB)、建前と本音(社会と個人)等々、さまざまなかたちの “引き裂かれ” のあわいで揺れ動くのがOMSBの音楽なんだ。そしてその揺れの運動がみごとに結晶化しているのが〈波の歌〉ということになるだろうな。

:“ウンドウ” だなんて、また小難しい表現を使っちゃってさあ。これだから批評とやらは困るなあ。ヘーゲルがどうしたとか、バウムクーヘンがどうしたとか言いだすんじゃないだろうね?

:なにも難しいことなんてないさ。それじゃあ海辺の波打ち際を想像してごらんよ。波が寄せては返し、ふたたび寄せては返しをくり返している。その “行ったり来たりの反復運動” は、まさにOMSBの歌そのものだろう?(いちおう訂正しておくと、バウムクーヘンじゃなくて、アウフヘーベンな。どちらもドイツ語で似ていて韻も踏めそうだが)

:強さと弱さ、生の苦しみと歓び、日常と非日常、建前と本音、寄せ波と引き波……。なるほど、“引き裂かれ” のあいだを波のようにゆらゆらと漂い、どちらかいっぽうにもたれかかることなく、そのあわいを絶えず行き来しているということか。

:御名答。“波” がOMSBというラッパーの似姿になっているってことだな。前を向いて歩を進めたくても波に引きずり込まれる。それならいっそのこと奥底まで沈んで海の藻屑にでもなったほうが楽なのだろうが、やはり波によって今度は押し返されてしまう。「がんじがらめ」なんだ。〈波の歌〉はくわえて、盟友Hi’Specが手がけたビートによってもOMSBが体現されていると思う。音高の昇降をせわしなくくり返すギターフレーズはさながら海面の潮汐(ちょうせき)のようであり、まさしく〈Scream〉で歌われるところの「簡単な事ですぐフテ」たり「簡単な事で上を向く」「ネガポジややこし」いOMSBだ。

:「上がってんの? 下がってんの?」(KICK THE CAN CREW〈マルシェ〉)と訊かれても、OMSBの場合は “いやあ、どっちでもないッス” って感じか。僕も「ヒップホップの話」をしてみた(笑)。

:いわずもがな、“行ったり来たり” は反復の音楽であるヒップホップそのものの運動でもある。だからOMSBの音楽は気持ちいいんだ。もしくは、「首振れる」と言ったほうが適切かもしれない。つまり、OMSBの作品が感動的なのは、“不器用な俺” と死ぬまで付き合わなければならない悲しみに同調するからではなく、“引き裂かれ” によってもたらされる運動が俺たちのヒップホップ的感性を刺激するからなのだろう。また抽象的でよくわからない話をしてからに、とおまえさんは戸惑うかもしれないが、俺たちが “ヴァイブス” と呼びならわし愛でているその不可視の美学というのは、こうした運動性のことじゃないのか。

:凪いでいる海よりも、さざ波が立っている海を見てるほうが心がざわざわするもんね。

:そういうこと。というわけで俺なりの結論をあえて一言でいうと、 OMSBとは「〜」である。

:えぇ?

:ふたつの場所・時間などの範囲を示す際、ニョロニョロの記号を使って「A〜B」と表すが、これまで言ってきたようにさまざまな二極に引き裂かれたOMSBを表すのに「〜」はうってつけだろう。そしてこのニョロニョロは、「〜」と書いて「波ダッシュ」というんだ。

:でもさあ、ふたつのものに挟まれているってことになると、どちらかといえば、おむすびというよりもサンドイッチみたいだね。

:お粗末さまでした。

(了)

おむすびの味〜OMSB《ALONE》
材料(一人分)

宮崎敬太「孤独って寂しいイメージがあるけど、見方を変えれば唯一無二になる【OMSBインタビュー】」テレビブロス ウェブ、2022年8月29日 https://tvbros.jp/hit/2022/08/29/51770/

ポール・K・ファイヤアーベント著、村上陽一郎訳『知についての三つの対話』ちくま学芸文庫、2007年

Donald Glover「Donald Glover Interviews Donald Glover」Interview Magazine(Spring 2022: The Watching Issue)

つやちゃん「押韻は死ぬまで止まぬ」『扇動する声帯 ラップと漫才の時代』クイック・ジャパン ウェブ、2022年9月17日 https://qjweb.jp/column/75703/

伏見瞬『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』イースト・プレス、2021年

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That Shit Cray

小澤俊亮|1989年生まれ|書籍の編集|Twitter: @sh333zy