勃ち上がる全能の神〜カニエ・ウェスト《Yeezus》

That Shit Cray
43 min readMay 4, 2022

文化とは淘汰の努力の到達点である。淘汰とは、除去であり、刈込であり、清掃であり、本質を裸にむき出し、はっきりさせることである
──ル・コルビュジエ

このせまいこころの檻も こわして自由になりたいの
──きゃりーぱみゅぱみゅ

むくり。それは突発的にやってくる。あっ、と思う。眠れる獅子が目を覚まそうとしているのだなという予感。からだじゅうの血の気がサーッと引いていくのを感じるとともに、ダムが決壊して押し寄せる激流の轟音が聞こえてくる。むくり、むくり。いまは駄目だ。いったん落ち着け。まわりのひとに見られるかもしれないぞ。頭では理解していても、昂(たかぶ)る気持ちはそうやすやすと鎮まらない。手や足と同じく、それ自体は間違いなくじぶんのからだの一部分であるのだけれど、こんなふうになってしまったときには、私とは別の生きもの(もうひとりの〈私〉?)を股下にぶら下げているかのような居心地の悪さをおぼえる。むくり、むくり、むくり。居心地を悪くしているのはすっかり猛りきった獅子も同様で、膨れあがった体躯に比して手狭となった檻をいまにも突き破りそうな勢いである。むくり、むくり、むくり、むくり。擦れによる摩擦が痛い。息苦しい。後ろ指をさされて恥ずかしい。頼むから、おとなしくなってくれ──。しかしこの衝動は私にもどうすることもできない。みずからの手のおよぶ範疇(はんちゅう)を超える大きな存在に対して為すすべなく乞う姿は、さながら天変地異を荒ぶる神の所業と考え、白波のたつ大海原を眼前に安寧秩序を祈るしかない信仰者のようですらある。ということは、私たちが手をこまねくしかないほど大きくなったそれは、神なのだろうか?

Ⅰ.勃起

カニエ・ウェスト通算六枚めのスタジオアルバム《Yeezus》(二〇一三年)は、音楽アルバムという名の包皮をかぶった男根である。ひと皮剥けば、そこではむくむくと怒張した男根が雄叫びをあげている。

なぜこんなにも《Yeezus》は男根のイメージに充ち満ちているのか。

たとえば、じぶんの黒いペニスを婦人にねじ込むと歌う冒頭の〈On Sight〉。この曲ではカニエの連れの女性が「噴水」で喉を潤そうとするが、勢いよく水を噴き出すその泉は──このあとの「彼女の口に突っ込む」という身も蓋もない口淫描写によって反復されるように──男根の暗喩にほかならない。最後に連呼される、もはや性交中の喘ぎ声にしか聞こえないカニエの台詞「いますぐ欲しい/我慢できない、はやく(Right now / I need right now)」からも、否が応でも勃起した男根を想起させられる。はたして、《Yeezus》では以降も放埒なセックス描写がこれみよがしに何度もくりかえされ、そのたびにリスナーの脳裏でカニエの男根がすっくと勃ち上がる。

四曲めの〈New Slaves〉にいたっては、じぶんは服従させられたり指図を受けるのが苦手な先導者(リーダー)気質であると言いたいがために、‘dick’(ペニス/いやな奴)と ‘swallow’(飲み込む/[意見などを]呑む)の二語を巧妙に駆使して、「ひとはリーダーとフォロワーに二分される/俺は(オーラルセックスで他人の男根を)咥えるよりもペニスになりたい」(You see it’s leaders and it’s followers / But I’d rather be a dick than a swallower)と男根を擬人化してしまっている。「咥える(swallow)」すなわち「ひとの意見に耳を貸す」ぐらいなら、(独りよがりだ自惚れ屋だなんだといわれようともかまわないから)「男根(dick)」すなわち「嫌われ者」でいるほうがマシだと宣言しているわけだ。ここではもはやカニエの男根が焦点となっているのではなく、カニエが “男根そのもの” に変態を遂げている[1]。

カニエの “男根化” とでも呼ぶべきこのような事態は〈I’m In It〉にも顕著で、曲名が意味するのはいうまでもなく膣の “中” にいるということだ。《Yeezus》のリリースツアーで前座を務めたケンドリック・ラマーも同作の発表から二年後の二〇一五年、膣の中に潜って快楽に溺れる〈These Walls〉という曲を制作している。カニエの〈I’m In It〉しかり、この曲も艶めかしい喘ぎ声から始まっているが、コンプトンの “優等生(グッド・キッド)” の場合はその異名から想像できる人物像どおり、復讐心に駆られて女性を寝取るという自身の行為にともなう悪しき男性性への反省が収録アルバムの後続曲で歌われる。いっぽう、Ph.D(pretty huge dick=巨根)[2]をもつシカゴ出の大学中退者はといえば、不敬にも「余はラップ教の神父なり/修道女に口でしてもらう」などと吹聴し、欲望のおもむくままにひたすら肉欲の果実をほおばるのみだ。

「ああぁぁぁぁぁ」──〈These Walls〉に続く〈u〉でケンドリックは絶叫する。それは、彼の同胞を手にかけた者を傷つけるためにじぶんの名声を悪用してしまったことへの罪悪感と自己嫌悪から発せられた苦悶の叫びだった。「ああぁぁぁぁぁ」──〈I’m In It〉でも絶叫が聞こえる。しかしこちらは、カニエがみずからの握りこぶしを膣の中に滑り込ませて身悶えさせた女性の歓喜の叫び(としてカニエが得意げに発する声)である。

上述のようなカニエの男根への異様なまでの執着を念頭に《Yeezus》を聴くと、〈Hold My Liquor〉ならびに〈Guilt Trip〉のキックドラムや、〈I Am a God〉で鳴るシンセベースはいずれも、血液の送り込まれた陰茎がドクンドクンと脈打つのを彷彿させずにおかない。全十曲中、一〜九曲めまでの混沌としていて張り詰めた音像に比べ、最終曲の〈Bound 2〉だけがあまりにも弛緩した曲調なのは、とうとう精魂尽き果てて射精し、ふにゃふにゃに萎んだ男根もしくは射精後のカニエの虚脱感を音のレベルで表現してみたということなのだろう。なにせ〈Bound 2〉のみ、(陰茎の脈動になぞらえた)ドラムの音が皆無なのだ[3]。そのような絶頂への到達を目前に控えた九曲め〈Send It Up〉のカニエの最終ヴァースは精力絶倫ぶりを誇示するかのごとく、次のように締めくくられる。「イーザスはふたたび勃ち上がる(Yeezus just rose again)」。

《Yeezus》のサウンド・プロダクションは、制作の最終段階において急きょエグゼクティブ・プロデューサーに抜擢されたリック・ルービンの辣腕に負うところが大きい。

「音を足すのでなく、減らしてくれ」。マリブに建つ自宅兼レコーディングスタジオにもち込まれた三時間超におよぶ録音データを聴き、いざ手直しをおこなおうとしたルービンに対してカニエはそう注文を出した。また、豊かなあご髭をたくわえたまるで仙人のような伝説的音楽プロデューサーによれば、同作特有のあのようなエッジの立った質感に仕上げるというアイデアもカニエの発案だったという[4]。〈Blood On the Leaves〉の制作者クレジットに名を連ねるハドソン・モホークは、《Yeezus》のために作られた楽曲のなかには、もっとメロディアスで容易にヒットを狙えるものもあったことを明かしている。だが、カニエたちは意図的に “わかりやすい” 曲を使わなかった。モホークは《Yeezus》で目指した音の方向性を次のように説明している。「それら[わかりやすい曲]は、ラフな感触をもつ、九〇年代のインダストリアル・ミュージックっぽい感じには合わなかったんだ[5]」。その結果、同アルバムはどの楽曲も余計な贅肉をそぎ落とされ、音数の少ないミニマルでソリッドな音像を打ち立てることに成功した。なるほど、《Yeezus》は “硬い(ソリッド)” のである。

カニエが《Yeezus》を創作するうえでの着想元として名前を挙げているル・コルビュジエは二十世紀最大の建築家のひとりだ[6]。柱の飾りなどに見られるギリシャ起源の華美な装飾を排し、「裸になった幾何学形態」をもった箱型の作品を多く遺していることでよく知られている[7]。カニエが “ミニマリズムの師” と仰ぐリック・ルービンの手によって音数を絞られて “裸になった”《Yeezus》は、まさしくコルビュジエ的美学を音楽として鳴らした作品だといえるだろう。

《Yeezus》には、〈Through the Wire〉のような人肌の体温を感じさせるソウルフルなサンプリングのループもなければ、ジョン・ブライオンによる荘厳(そうごん)なオーケストラのしらべもないし、まして〈All of the Lights〉のようにきらびやかな音のパレードなんて微塵も聴けない。無機質で冷たく金属的な《Yeezus》の音のテクスチャーは、いまにもとろけだしそうなほど熱くなったカニエの男根と好対照をなし、そそり勃つ肉棒の存在感をいっそう際立たせている。無機と有機のコントラストが生むリズムのもと、一糸まとわぬ、むき出しとなったカニエの身体性が強く喚起される。《Yeezus》の音からは、神経の昂りと筋肉のこわばりが感じとれる。

〈Black Skinhead〉のミュージックビデオに登場するカニエもまた、上半身裸だ。四分弱におよぶモノトーン調の映像は終始、当時の技術水準に照らしても粗雑といえるCG処理によってモノ化され、無機質感を帯びたカニエの躍動する筋肉を映しだす。ここでもやはり、有機(筋肉)と無機(コンピュータグラフィック)がかけあわされており、奇妙な生々しさを演出している。時おり、鋼状になった皮膚から氷柱(つらら)のように鋭利な突起物を飛びださせたりして、人ならざるもの(これらがイーザスの姿態なのだろうか)に変身するなか、終盤で一瞬あらわにする(3:09および3:16)、僧帽筋から三角筋、上腕二頭筋にかけての腕周り、そして大胸筋が不気味なほど大きく発達した肉体──『幽☆遊☆白書』の戸愚呂を想起させる──は、筆者の見立てに即してたとえるなら、まさしくはちきれんばかりに勃起した男根である。

カニエの裸は《Yeezus》ツアーのステージでも見られた[8]。メゾンマルタンマルジェラが衣装を提供したこのツアーでは、同ファッションハウスの手になる大粒のクリスタルで覆われたマスクの奇抜さが耳目を集めたが、前年まで開催されていた《Watch the Throne》ツアーの舞台上にてもキルトで着飾っていたり、後年の楽曲〈Cold〉にいたっては自身のファッションセンスを鼻にかけて、「おまえごときが着こなしについて語るなんて、みっともないからやめておけ/恥をかきたくなければ俺のまえではおとなしく黙ってろ」と啖呵を切るなど、自他ともに認める洒落者として知られる彼が、殊に《Yeezus》においては「脱いだ」という面妖な一事のほうこそ注目に値する。

むき出しといえば、CDディスクが(カニエの男根と同じく)なんの衣服(ジャケット)も着ておらず丸裸になっているアートワークないしプロダクト・デザインも、サウンド設計と同様に《Yeezus》の非装飾性を体現している[9]。透明なプラスチックケースに辛うじて貼られたあの深紅のテープが、筆者には陰茎の筋(包皮小帯)に見えてしようがない。

なぜこんなにも《Yeezus》は男根のイメージに充ち満ちているのか、と問うた。上述したとおり、リリック中で男根をさらし、サウンド面では音がそぎ落とされ、ヴィジュアルもむき出しの生々しいイメージを打ち出した《Yeezus》は、あらゆる面でいうなれば “ドレスダウン” をおこない、引き締まった裸体を露出させている。とりわけ露骨な内容の〈I’m In It〉に客演参加しているジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)が、「ふだんのカニエは、友だちにむかって四六時中あのような[卑猥な]話をしてるわけじゃない[5]」と冗談まじりに弁解しているのは、そうでもしないと、アルバムのプロモーションビデオでパロディにしている映画『アメリカン・サイコ』の主人公パトリック・ベイトマンのような本物の狂人(サイコ)だと思われてもおかしくないからだろう[10]。それほどまでに、《Yeezus》におけるカニエの肉欲は過剰である。

ドレスダウンという喩えで《Yeezus》を表現するならば、さきほどの問いをこのように言い換えてよいかもしれない。つまり、《Yeezus》のカニエはなぜ服を着ていないのだろうか、と。これについて考えるために、さらに逆方向からこう問いかえしてみたい──ひとはなぜ服を着るのか。

Ⅱ.脱衣

衣服やモード(流行)の考察を通じて、人間の身体性や自己同一性(アイデンティティ)の問題について思索する哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)によれば、そもそもひとは、それ単体(裸)では私を〈私〉として成り立たせられない不安定な存在だと説く。そして衣服がそんな脆弱な身の私たちに “枠” を与えて、固定・安定化を図っているという。

私たちは毎日、鏡にむかってじぶんの姿かたちを確認している。でもそのじぶんがほんとうに〈私〉であると確信をもって言えるかどうか、実は怪しい。

たとえばひとつの例として「顔」について考えてみるだけでも、私たちの自己認識は揺らぐ。ひとが私を〈私〉として認識する際に大きな手がかりとなっているのは、顔だ。昔の偉人たちが画家に命じて肖像画を描かせたときも、現代のラッパーがアルバムのアートワークに自身の姿を写しとるときも、手や足ではなく、もっぱら顔が描かれる。日々の暮らしに身近なところでいえば、私たちの身分証の写真に使われているのも顔だ。そしていまやスマートフォンのロックを解除するために指紋と同等に使われるほど、顔はそのひと固有のものと考えられているわけだが、ほかのだれのものでもない私のこの顔を、当の私自身の目では直接確かめることができない。それなのに、「この顔にこそ、じぶんではコントロール不可能な感情や気分が露出してしまう」というのは、なんとも心もとない[11]。「スマホと顔」という副題をもつ著書で写真家の大山顕が指摘するように、証明写真に対して居心地の悪さをおぼえるのは、じぶんでは見ることのできない顔を根拠にして私が〈私〉であることを第三者に判定されるという倒錯性ゆえなのだろう[12]。顔のみならず、背中や臀部、あるいは脳や内臓などについても同様である。よく考えてみると、ひとがみずから知覚できるじぶんのからだというのは案外、少ない。それらの限られた断片的情報を頼りにして、私たちは〈私〉という存在を仮構的に組みあげている。

私たちのからだは所詮、「私とはこういうものである」とじぶんが想像するところの産物としての〈像(イメージ)〉にすぎない。鏡を覗き込んで日々確認しているのは、〈私〉ではなく、私の〈像〉だ。元来、ひとは「他なるものへむかってたえず炸裂・散逸し、いわば開きっぱなしになってい」ると鷲田は言う[13]。何者でもありえるが、同時に何者でもないというアンビヴァレントな状態。しかしそれではおぼつかない。そのためにひとは、「動くたびにその皮膚を擦り、適度に刺激することでひとにじぶんの輪郭を感じさせる恒常的な装置」として衣服を着るのである[14]。服を着ることで、視覚では私の〈像〉としてしか認識できない〈私〉を触覚によって実感し、〈私〉というあいまいな存在の不確かさをなんとか取り繕おうとしている。開かれている存在を閉じ、〈私〉としてひと所に定位させる「枠」としての役割が衣服にはある(鷲田は、開きっぱなしになった多様な可能性を「縮減する」という表現を用いている)。

衣服はまた、社会的記号をもっている。近代以前であれば、たとえば日本では士農工商といった身分制度によって、ひとには生まれたときから社会的属性が与えられ、私があなたや彼や彼女や彼らとは別の、ほかならぬ〈私〉であることは自明の理であった。だがそんな時代は遠い過去になって久しい。いまや私が〈私〉である根拠はどこにもない。そうした根無し草的な人間に、(かりそめの)根拠を与えてくれるのが衣服なのである。学生なら学校制服を着、警官であれば桜の代紋つきの制帽をかぶり、あるいは医師が白衣をまとい、ラッパーがダイヤモンドやサファイヤで覆われたブリンブリンのジュエリーを首からさげているように、衣服はなんらかの社会的意味をもっており、ひとはそれらを身につけることで自己同一化を図っている。しかもその自己同一化のためには、他者のまなざしを絶えず必要とするという事実が、人間存在の空虚さに拍車をかける。なぜなら、私は〈私〉をこの目で見ることが叶わないから。「わたしたちは、それぞれがそれぞれの〈わたし〉に帰属させたい、あるいは帰属させねばならないとおもっているいくつかの属性(座標上の位置)を手に入れるために、他者が想定しているであろうイメージにそって自らを象りながら、〈わたし〉を提示し」、「そうした相互の調整が齟齬もなくなされるとき、それらの属性はわたしのものとして承認され、わたしは『わたしである』とリアルに感じることができるようになる[15]」。

私たちが毎日衣服を着るのは、ひとの目から(男根などの)秘部を隠すためではない。衣服によって隠蔽されているのは、いま述べたような空虚な存在である私たちにほんとうは “隠すものなんてなにもない” という恐ろしい秘密なのである[16]。「わたしが現にいまこの〈わたし〉であることには必然的な根拠がないということ、この事実を衣服は隠蔽する[17]」。

以上、鷲田の著作をもとに、ひとが服を着ることについてごく簡単に整理した。ではここから本題に立ち戻り、《Yeezus》におけるカニエの脱衣という行為についてあらためて考えてみたい。脱衣について考えることは、《Yeezus》が執拗に男根(のイメージ)をこする理由を究明することでもあった。脱衣にはどのような意味があるのか。なぜカニエは脱ぐのか。

鷲田の議論によれば、衣服は「他なるものへむかってたえず炸裂・散逸し、いわば開きっぱなしになっていた存在」を縮減し、私に〈私〉という枠を与えるものだった。ということは、脱衣はそれとは逆のベクトルの運動になる。すなわち、衣服が与えてくれる〈私〉という枠を取っ払い、私を “開きっぱなし” の状態にするということである。服を脱ぐことで私は炸裂し、散逸する。そして多様な可能性に拡張される。ひとは、私が〈私〉ではありえない状況に耐えられない。それゆえに衣服を着ることを欲するのは先に述べた。カニエとて、ひとの子であり、同様だ。ただし、《Yeezus》のカニエはただの人間ではなかった。イーザス(Yeezy+Jesus)だ。神である。

衣服には必ずなんらかの社会的記号が付随する(鷲田はそのことを指して端的に「すべての衣服は制服である」と喝破した)。そのような衣服に縫い付けられた「意味」は、神であるためには邪魔だ。神はいかなる枠も必要としない。衣服を脱ぎ捨て、いっさいの意味や枠組みから解き放たれたカニエは(勃起した男根さながら?)拡張する。開かれた可能性の奥の、その奥のそのまた奥の、もうこれ以上は行けないところにある可能性の極点──それはもう、神としか言いようがないだろう。枠を外すことで神の境地に達せんとしたのが《Yeezus》なのだ。

〈I Am a God〉で雷鳴さながらに轟(とどろ)く「きゃぁぁぁぁぁああ」という咆哮(ほうこう)。カニエを奇人とみる向きからすれば、ただの発狂としか思えないだろうその叫びはしかし、彼が人間という存在から脱皮したことを知らせている。本来、赤子のように感情のままに泣いたり叫んだりするのが人間の自然な姿であるはずなのに、私たちは社会に馴致(じゅんち)するにつれ、じぶんの気持ちを五十音ないしAからZの二十六字などの組み合わせから成る言語に置き換えて話すようになる[18]。それはつまり、「人間」という枠に収まることでもある(ラカンの「去勢」)。対して、可能性の彼岸に到達したイーザスは、そのような音韻システムという “枠” の外側の地平に立って/勃っている。

《Yeezus》でのカニエが取り憑かれたように性行為をくりかえすのは、媚態をさらし情交におよんでいるとき、ひとは他者のまなざしから隔絶され、いっさいの社会性から解き放たれるからでもあろう。

でも、なぜ「男根」なのだろうか。

Ⅲ.可能性

ふりかえれば、カニエはこれまでずっと「枠」へと押し込められてきた。

映像ドキュメンタリー作品『jeen-yuhs』(二〇二二年)では、二〇〇二年当時まだ駆け出しの新人だったカニエが、「ラッパー兼プロデューサー」という肩書きでじぶんを紹介するのを不服とし、ロッカフェラ・レコードのA&Rにむかって猛然と食ってかかる姿がとらえられている。この若僧はいったいなにがそんなに気に食わないというのか──A&Rの男の困惑しきった顔にはそう書いてある。しかしカニエにとっては大問題である。みなと同じく、いちラッパーとして対等に扱われるべきなのに、じぶんだけ「ラッパー兼プロデューサー」という特別 “枠” に入れられ、まるで二流であるかのように軽視されるのが我慢ならなかったのだ。

そのような不名誉な肩書きを拭い去るべく、寝る間も惜しんでひねもす作品づくりに専心したのが祟ったにちがいない。二〇〇二年十月二十三日、時刻はもうあと数時間も経てば朝焼けがカリフォルニアを包まんとする午前三時ごろ、レコーディングスタジオからの帰路にカニエは睡魔に襲われ交通事故を起こしてしまう。搬送先の集中治療室では、三片に砕け散ったというあごの再建手術が施された。商売道具である口をすっかり毀損したラッパーは絶望したか? 否、二週間後には、持ち前の負けん気をもってこの惨事を昇華した〈Through the Wire〉を録音する。頭韻を駆使した第二ヴァースの結語「悲劇(トラジェディ)を勝利(トライアンフ)に変えるんだ」が決して虚仮威(こけおど)しでなかったことは、この男の足跡が証明している。かくして、足枷を可能性の糸口とするカニエ式方法論が確立されることとなった。

〈Through the Wire〉は、それまで固く閉ざされていた門戸をこじ開け、快進撃のはじまりを告げる狼煙(のろし)となった記念碑的一曲であるが、口腔内に張り巡らされたワイヤーが邪魔をして思うように口を動かせず、舌足らずとなったカニエのラップはなんとも不自由そうである。ラッパーとしての実力を認めさせて自由にやれる契機となった作品が、(実際にはワイヤーを通しているおかげで砕けたあごを保つことができていたのだが)奇しくも自由とは反対にそうした物理的な身体拘束を伴う〈Through the Wire〉だったというあべこべな事実は、カニエ・ウェストという人物について考えるうえできわめて象徴的な出来事であるように思える。なぜなら、この原初の成功体験がカニエに計りしれないほど大きな霊感──俺は自由を奪われているだけで、ほんとうは大いなる可能性を秘めている──を授けたことは、後年の作品や言動の端々にも顕れているように、疑いようがないからだ。

《Yeezus》の肝である〈I Am a God〉も、自由を奪われたことに端を発して出来た一曲である。ファッションデザイナーのエディ・スリマンが当時ディレクターを務めていたサンローランのランウェイショウに招待されるも、参加条件としてほかのデザイナーのショウの見学を禁じられたことに腹を立てた[19]というカニエは、「だから翌日ダフト・パンクといっしょにスタジオに行って、〈I Am a God〉を書いた」と語り、さらにこう続ける。「行ってもいい場所や行ってはならない場所をだれかに決められる義理なんて、これっぽっちもない」「俺が学びを得る機会をどうして奪えようか[20]」。「余は神なり(アイ・アム・ア・ゴッド)」「フレンチレストランを名乗るなら、ちんたらしてないでクロワッサンのひとつくらいもってこい」(ともに〈I Am a God〉より)だなんて、いかにも高慢ちきに聞こえるが、スリマンとの一悶着における上掲の発言からは、(たとえそれが直情径行で子どもじみたふるまいだといえるとしても)ひたむきに可能性を追求しようとするカニエの向学心がうかがえる。付言するならば、表題のとおり「俺に指図するんじゃねえよ」と啖呵を切る〈Can’t Tell Me Nothing〉(《Graduation》[二〇〇七年]収録)は、神になることで自身の可能性の極限化を企図した〈I Am a God〉の先触れだった。俺の可能性の広がりを台無しにするおまえごときの口出しなんぞ求めてないから、大人しくすっこんでいろ──これが、傲慢の顕れと読解されがちな五語「ユー・キャント・テル・ミー・ナッシング」の意味するところである。

《Yeezus》発表の二日後に公開されたW誌のインタビューにおいて、「俺は現役ナンバーワンのロックスターだ。アクセル・ローズ、ジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックスも顔負けさ」とぶちあげるカニエの発言のあとには、皮肉たっぷりに次の但(ただ)し書きが添えられている。「このときカニエの顔に笑みは見られなかった。ひとこと言い放つごとに、彼は語気を荒げていった[20]」。インタビュアーのクリストファー・バグリーがこの醒めた筆致で言外になにを言わんとしているかは、火を見るより明らかである。つまり、こんな大言壮語は冗談か、さもなければ気狂いの妄言でもない限り、ふつうは口にしないというわけだ。

たしかにカニエは自尊心がひとより強いかもしれない。しかし、そんなことは他人からいわれるまでもなく、当のカニエだって百も承知だろう。じぶんのラップを下手くそ(couldn’t rhyme)と呼ぶ連中のことをふりかえりながら、「ああいう夢を笑うやつらに俺の自尊心を傷つけられるか、それとも原動力にして夢を叶えるか/俺は横柄さを力に変えたんだ」と、はやくもデビュー作収録の長口上ラップ〈Last Call〉でライムしていたのだから(ちなみにここでは、「夢を笑う者(dream [killers])」と「自尊心([self-]esteem)」と「原動力(steam)」、そしてふたたび「夢(dream)」で執拗に韻を踏み、汚名返上とばかりに “上手に” ラップしてみせている)。

「もしカニエと面識のない百人のひとに彼のことをどう思うか尋ねたら、そのうち九十人は傲慢だと言うでしょう」。このような一文からはじまるのは、母ドンダ・ウェストの著書『カニエを育てて(Raising Kanye)』(二〇〇七年、未邦訳)のなかの一編「傲慢、それとも自信?(Arrogance or Confidence?)[21]」。同書のなかでドンダは、息子がはやくは就学まえの時分から、私たちのよく知る “カニエ節”[22]の片鱗──強調性のなさにあきれた友だちからボーイスカウトに入るよう助言される、学内のタレントショウで演出を間違えられて舞台袖で大激怒する、等々──を示していたことを明かしている。母親であるじぶんは意見する立場でないかもしれないし、もしカニエが非難されるのなら、その原因の一端を自身が担っているといえるかもしれないが、息子の考えや主張のすべてを必ずしも全面的に肯定するわけでもない、などとさまざまに留保し、客観性を保つように努めているのが彼女の文章からは伝わってくる。しかしながら、世間で言われるカニエの傲慢さというのは、最高の作品づくりのための情熱や不正義への抗議といった大義ゆえである、と結局は最愛の息子の肩をもってしまっているところがなんとも微笑ましい。

カニエが他者とのあいだの軋轢(あつれき)も臆せずにじぶんの率直な考えを表明するのは、だれかに同調するのでなく、自身の目で世界を見るよう言い聞かせて育てたからだ、とドンダは言う。また、じぶんの息子は、世の中に変化をもたらすべくして生まれてきたとも言い、さらにこう続けている。「そのためには世界が用意した円のなかから踏み出さないといけない。それはいうなれば、ぬり絵で線の外側を色付けするみたいなもの[23]」。カニエを最もよく知る人物のひとりが、ここでぬり絵の線という「枠」の喩えを用いているのはおそらく偶然ではない。《Donda》(二〇二一年)に収められた〈Off the Grid〉が、母の教えにしたがって格子(グリッド)という枠から逃れんとする曲だったことも思い出されよう。

否定されつづけてきた「一人前のラッパーになる」という夢を叶えて反対論者たちの鼻を明かしたあと、カニエは音楽と並んで情熱を傾けるファッションの道を志すが、ふたたび “ノー” が突きつけられる[24]。二〇一一年、亡き母の名のイニシャルを冠した自身初[25]のコレクション「DW」をパリのランウェイショウでお披露目するも、批評家からの評価はおおむね辛辣だった──「カニエ・ウェストのデビュー・コレクションは、まるでMRI検査を一時間も受けさせられるかのような代物だった。しかも、たいして愉快でもない」等々[26]。これにカニエは、〈New Slaves〉で「俺がブランドを始めると聞いて、他人の手を借りると高をくくってたんだろ/でも、あいつらは俺が綿摘みからやらないと気が済まないんだ」と、(「奴隷(slaves)」という楽曲のテーマにも則した巧みなかたちで)フラストレーションを爆発させ反撃している。

音楽のときと同様、カニエのファッション業界への参入は決して平坦な道のりでなかった。それでも、いまや屋号を「イージー(Yeezy)」に変えた彼の夢が成就して大成功をおさめているのは周知のとおりだ。イージーの第三期コレクションとともにマディソン・スクエア・ガーデンで発表された《The Life of Pablo》(二〇一六年)収録曲〈Facts (Charlie Heat Version)〉において、カニエはかつて嗤(わら)われたじぶんの夢が “既成事実”(ファクト)となったことを、地元シカゴの英雄にして自身と同じ “神様” を引き合いにまくしたてている──「ジャンプマン[エアジョーダンの俗称]を跳び越えた」。

二〇二二年二月には、バレンシアガのクリエイティヴ・ディレクター、デムナ・ヴァザリアと組んで「Yeezy Gap」の第一弾コレクションを発表した。同コレクションにモチーフとして描かれた鳩には「未来にむけた名もなき希望」という意味合いが込められているという[27]。未来への希望、それを「可能性」と呼びかえてもなんら差し支えはないだろう。

カニエのことを傲慢なナルシシストと呼んで嘲弄の的にするのは易しい。もちろん、そういった側面があること自体は間違いない。が、それだけでは物足りない。あの強烈な自尊心とそれに起因する奇矯な振る舞いは、もっと本質的な別のなにかの顕現であるにすぎない。そしてそのカニエの本質というのが、ここで「可能性」と呼んでいるものにほかならない。

ヒップホップ文化のメッカであるニューヨークからはじまった可能性の探求は、ファッションの都パリを経由したのち、政治の中枢ワシントンに向かうこととなった。

泡沫候補といわれながら果敢にも出馬した二〇二〇年の米大統領選挙をめぐる一連の言動のなかには、歴史認識が甘すぎると言わざるをえない軽はずみな発言を筆頭に、看過できない不味いものも少なくなかったが、黒人は例外なく民主党を支持しなければならないというのは人種差別や白人至上主義と同根だというカニエの主張[28]を、逆張りや天邪鬼あつかいして脊髄反射的に切り捨ててしまうのはいかがなものだろうか。まさにこれも、個人を枠に押し込めて可能性の広がりに歯止めをかける行為であり、カニエが異を唱えるのは至極当然だ。〈New Slaves〉において、「ペニスになぞらえた先導者(リーダー)」であるカニエと対置されていた「咥える追従者(フォロワー)」とは、そういう伝統や慣習といった枠の外側に広がる可能性を想像できない人びとのことを指していたのではなかったか。ソーシャルメディアに毒されて、他人の言葉を特段なにも考えずに呑み込むことが日常化したいま、くだんのリリック中のフォロワーという言葉はカニエの意図を超えて実に示唆的に響く。(そのハッシュタグという「枠」でじぶんがいったいなにに連帯・反対しているのかをもう少し考えてから言挙げするのでもいいのではないだろうか、と筆者は思う。当意即妙に態度表明してみせたい欲望をぐっとこらえて思考することで、いつまで経っても議論が平行線をたどるばかりのソーシャルメディアの袋小路を抜け出し、別様の可能性が開かれるのではないか。直情的な言葉を吐き捨てるひとたちの、その雄々しいというほかない姿は、まさしく痴情に突き動かされ勃起した男根のようである)

「出る杭は打たれる」ほどカニエにあつらえむきのことわざもない。サンプリング素材をあっと驚く仕方で組み替える(flip)ように下馬評を覆す(flip)ことで反対論者たちに吠え面をかかせてしまうのが、出る杭(というか “勃つ男根” ?)としてのカニエの本領である。繰り言になるが、その原動力になっているのは「俺に秘められた可能性は不当に否定・抑圧されている」という、〈Through the Wire〉の成功体験から得た霊感だった。しかしながらそれは、「否定されるところには “絶対に” 可能性がある」という強弁へと容易に反転(flip)してしまう危うさを孕んでいることを忘れるべきではない。管見では、ホワイトハウスに照準を合わせはじめたころから、カニエの言動にはこの「逆説」が看てとれるようになったと考える。可能性のために一切合切を脱ぎ捨てたすえ、裸の王様に成り果てたのでは笑うに笑えないだろう。

Ⅳ.全能

いかにして他者からの余計な干渉を排し、じぶんの可能性を広げるか、という作家カニエ・ウェストが抱える積年の課題に対する解決の具体的あり方が、《Yeezus》では「ドレスダウン」(音数をそぎ落としたミニマルな音づくり、裸体を強く喚起するリリック、非装飾的な簡素きわまりないジャケットデザイン)によって表現されている。そしてこのあと結論で述べるように、それらが「男根」という象徴に収斂している。この意味で、アート作品として、内容と表現が緊密に関連づけられた「必然に裏打ちされた男根」だといえる[29]。《Yeezus》が男根のイメージに充ち満ちているのはそのためだ。

《Yeezus》は前述したとおり、枠を外して追求される多様な可能性のいわば化身だった。また、同じくこれまで再三のべたように《Yeezus》はカニエの男根でもあった。男根、可能性、そしてカニエ。これらが三位一体となった顕れがイーザスなのである。カニエの人一倍強い克己心、天井知らずの向上心は、本作において結晶し、屹立している。

男根が勃たなくなることをインポテント(impotent)という。インポテントは「不能」だ。対してカニエの男根はむくむくと勃っている。《Yeezus》は肉感的で硬質な男根だった。すなわちインポテントの対極、オムニポテント(omnipotent)ということになる。《Yeezus》はオムニポテントである。オムニポテントは「全能」の意だ。全てを能(あた)うことができること。可能性の極点。神。克己的勃起。イーザスは何度でも勃ち上がる。アーメン!

出典・注釈

エピグラフ
ル・コルビュジエ著、吉阪隆正訳『建築をめざして』鹿島出版会、1967年、113頁
きゃりーぱみゅぱみゅ〈ファッションモンスター〉unBORDE、2012年

1. もちろん男根を使った言葉遊びはカニエの専売特許ではない。ひとつの例として、筆者の愛聴するチャイルディッシュ・ガンビーノ(ドナルド・グローヴァー)による以下のリリックを挙げる。

「俺のペニスはまるでアクセント記号/‘e’ の上をめがけて一直線」(〈Bonfire〉2011年)

アルファベットの ‘e’ の上につくアクセント記号(é)に喩えられたガンビーノの男根は、「‘e’ の上(over e’s)」転じて「卵巣(ovaries)」にむかっていく……。

2. カニエ・ウェスト〈Breathe In Breathe Out (feat. Ludacris)〉A Def Jam Recordings、2014年

3. ポンデロッサ・ツインズ・プラス・ワン〈Bound〉をサンプリングしたカニエの曲が〈Bound 2〉なら、タイラー・ザ・クリエイターが同じく〈Bound〉を下敷きにした〈A BOY IS A GUN*〉(《IGOR》[2019年]収録)は〈Bound 3〉と呼んでもいいかもしれない。両者はともに、借用した原曲のテーマである「運命の赤い糸」を踏襲したような内容になっているが、プラトニックな恋愛感情を歌ったタイラーの〈A BOY IS A GUN*〉と比べると、(本文で述べたように私の見立てでは、射精して果てたはずなのに)流し台でのセックス願望を口にしたり、女性からクリスマスプレゼントに欲しいものを聞かれて(三人で快楽を味わうために)「おまえ以外の女」と答えたりする〈Bound 2〉のほうは、カニエの性衝動の異常さが際立つ。

4. カラス・ラム「Rick Rubin On Crashing Yeezus & Continuing To Make History」Okayplayer、2013年6月26日 https://www.okayplayer.com/news/rick-rubin-on-crashing-yeezus-history-interview.html

5. ライアン・ダンバル「The Yeezus Sessions」Pitchfork、2013年6月24日 https://pitchfork.com/features/article/9157-the-yeezus-sessions/

6. ジョン・カラマニカ「Behind Kanye’s Mask」The New York Times、2013年6月11日 https://www.nytimes.com/2013/06/16/arts/music/kanye-west-talks-about-his-career-and-album-yeezus.html

7. 越後島研一『ル・コルビュジエを見る 20世紀最高の建築家、創造の軌跡』中公新書、2007年、11頁

コルビュジエについては下記も参照した。メルカリマガジン編集部「モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエが手掛けたインテリア。LCコレクション、ランプ・ド・マルセイユ・ミニが誕生するまで」メルカリマガジン、2022年2月26日 https://magazine.mercari.com/series/mono_history/lecorbusier

8. Kanye Vault「Yeezus Tour Movie」YouTube、2020年5月7日、0:16:45 https://youtu.be/ysdaXqBGHLY

9. 男根を描いたジャケットデザインにはほかにも、《Yeezus》と同じくリック・ルービンがプロデュースを手がけたビースティ・ボーイズのデビュー作《Licensed to Ill》(1968年)や、デス・グリップス《No Love Deep Web》(2012年)がある。

ジェームス・スタッフォード「Cover Stories: Beastie Boys, ‘Licensed to Ill’」Diffuser、2015年7月3日 https://diffuser.fm/cover-stories-beastie-boys-licensed-to-ill/

ちなみに、インダストリアルやノイズを取り込んだデス・グリップスの作風に《Yeezus》は影響を受けているといわれることもあるが、プロデューサー/エンジニアのノア・ゴールドスタインは「このアルバム[《Yeezus》]を作っているあいだ、ぼくたちは一度もデス・グリップスを聴いていない」と否定している(ダンバル「The Yeezus Sessions」)。

過去作からの影響については、BBCが「カニエ・ウェストの《Yeezus》と剽窃の芸術」という記事で、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーがプロデュースしたソウル・ウィリアムズ《The Inevitable Rise and Liberation of Niggy Tardust》(2007年)との関係を指摘している。

グレッグ・コット「Kanye West’s Yeezus and the art of stealing」BBC Culture、2014年10月21日 https://www.bbc.com/culture/article/20130705-kanye-west-the-art-of-stealing

10. アイシャ・ハリス「Kanye West Goes American Psycho」Slate、2013年6月18日 https://slate.com/culture/2013/06/kanye-west-american-psycho-kanye-directs-scott-disick-for-yeezus-promo-video.html

『アメリカン・サイコ』とカニエの関係については、原作者ブレット・イーストン・エリスを主題とした青木耕平による論考「スティル・ナンバー・ワン・アメリカン・サイコ」および「ウェルカム・トゥー・(ポスト)エンパイア」(ともに『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』[書肆侃侃房、2020年]収録)を参照。

ここで青木は、エリスの最新作『ホワイト(White)』(2018年、未邦訳)を論じるにあたり、カニエのドナルド・トランプ支持と、そのカニエのことをエリスが支持する構図を取り上げるかたちで、(カニエと同じく誤解されやすい)エリスの思想と美学を解き明かしている。これらの論考だけを読むと、世間でよく知られるトランプの排他的な政策方針にカニエが同調していたと思われるかもしれないが、カニエが当時あのように熱に浮かされたかのようにトランプに強烈に惹かれたのは、大方の予想を裏切って「逆立ちしても絶対に起こりえない」といわれていたこと(大統領当選)を果たしたという事実のためである(下記ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューを参照)。本稿でも触れているとおり、デビューまえに「ラッパーになる夢」を頭ごなしに否定されて苦心惨憺(くしんさんたん)したカニエが、全世界の革新派の苦虫を噛み潰したような視線を跳ねかえして大統領の座に登りつめたトランプの大番狂わせに喝采を送りたくなる気持ちは、わからなくない。きっと青木がエリスに対して抱いているのと似た感情をカニエに対して抱く者として、僭越ながらここに付記する。

ジョン・カラマニカ「Into the Wild With Kanye West」The New York Times、2018年6月25日 https://www.nytimes.com/2018/06/25/arts/music/kanye-west-ye-interview.html

11. 鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』ちくま文庫、2012年、28頁

12. 大山顕『新写真論 スマホと顔』ゲンロン、2020年、103頁

13. 鷲田清一『モードの迷宮』ちくま文庫、1996年、119頁

14.『ひとはなぜ服を着るのか』31頁

15.『モードの迷宮』122頁

16. 余談になるが、「装うことで隠蔽する」ということに関連して、ジェイ・Zは、ラッパーしぐさのひとつといえる「股間をつかむ」ことについて、虚勢を張る行為だと言っている。ひるむほど大勢の観衆を前にしたときの緊張を隠すために、股間をつかんで強がって見せているのだという。「てっきり、“俺のブツは上物だぜ、見せてやるよ” という身振りなのかと思っていました」と笑いまじりに尋ねる訊き手に対し、ジェイ・Zはこう答えている。「ステージの上では、丸裸になったみたいな気分なんだ。裸になったとき、まずやることといったら相場は決まってる。おまえさんの大事な部分を覆い隠すってわけさ」

テリー・グロス「Jay Z: The Fresh Air Interview」NPR、2017年6月16日 https://www.npr.org/2017/06/16/533216823/jay-z-the-fresh-air-interview

17.『モードの迷宮』130頁

18.『ひとはなぜ服を着るのか』21頁

19.「Kanye Is A God − And don’t you forget it, Hedi」Elle UK、2013年9月24日 https://www.elle.com/uk/fashion/news/a2375/kanye-west-relives-hedi-slimane-diss-with-zane-lowe-radio-one/

筆者の深読みの域を出ないが、カニエが〈I Am a God〉でダフト・パンクを起用したのは、憎きエディ・スリマンがこのフレンチエレクトロ界の覆面二人組とともに仕事をしていたことへの当てつけではないか。《Yeezus》リリースのおよそ8か月まえとなる2012年10月、パリで披露されたサンローランの13年春夏コレクションのランウェイショウに音楽を提供したのが、ほかならぬダフト・パンクだった。サンローランにとって、このときのランウェイショウは前身ブランドからの改称後初となる大事なお披露目の場であり、また、メンズデザインで名を馳せたエディ・スリマンにとっては初めてのウィメンズコレクション発表でもあった。エディ・スリマンがそのような檜舞台に立つにあたって音楽を任せたダフト・パンクを、カニエが〈I Am a God〉に招いたことの意味を考えてみてほしい。スリマンが懇意にしている同胞ダフト・パンクをわざわざ徴用し共同制作した曲で、スリマンに対する私怨を晴らす──。ここに、氏一流の反骨心と子どもじみた知性、諧謔精神(ユーモア)を見いだすのはむずかしくないだろう。あるいは本文中でも触れているとおり(〈Last Call〉)、挫折や受苦を創作の糧とする、不撓不屈の姿勢を読みとってもいいかもしれない。

この深読みの傍証として、カニエが過去にも同じように “敵の仲間” を自陣営に引き込んで仕返しを図っていたことを付け加えておく。2006年のMTVヨーロッパ・ミュージック・アワードで〈Touch the Sky〉(《Late Registration》[05年]収録)が最優秀ビデオ賞にノミネートされるも受賞を逃した際、カニエはいわずもがな烈火のごとく不満を爆発させたが、次作《Graduation》(07年)からのシングル曲〈Good Life〉のミュージックビデオでは、〈Touch the Sky〉を降して賞を獲ったジャスティス〈D.A.N.C.E.〉のビデオを監督したジョナス&フランシス(およびアニメーション担当のソー・ミー)を起用している。

20. クリストファー・バグリー「Kanye West, the Transformer, on his New Album Yeezus and Kim Kardashian」W Magazine、2013年6月20日 https://www.wmagazine.com/story/kanye-west-on-kim-kardashian-and-his-new-album-yeezus

21. ドンダ・ウェスト『Raising Kanye』Pocket Books、2007年、156頁

22. 私たちのよく知る “カニエ節” もしくは “カニエ像” を、カニエ自身が自己パロディ化して煮詰めたような一曲が〈I Love Kanye〉(《The Life of Pablo》(2016年)収録)である。若干44秒という超短尺ながら、カニエというアーティストの特性を明確かつ端的に表した曲としてこれに比肩するものはない。

23.『Raising Kanye』162頁

24. カニエが “ノー” を突きつけられるのは、これが最後ではない。イエスへの信仰告白を主題にした《Jesus Is King》(2019年)収録の〈Hands On (feat. Fred Hammond)〉では、カニエの信仰心を疑うキリスト者たちから門前払いを食ってしまい、「だれからも愛されていない気持ちになった」としょげかえっているが、自信家の彼にしてはめずらしいその低姿勢にこそ、リスナーの私たちはキリスト教的な改悛を見いだすべきなのだろうか。

25. DW以前にもカニエは、順当にいけば自身が手がける初めてのアパレルブランドとなるはずだった「パステル(Pastelle)」の立ち上げ準備を2006年ごろから進めていた。しかし優秀なデザイナーを世界中から集め、膨大なリサーチをおこなったすえに、大量の試作品を残すのみで頓挫してしまった。詳細は、関係者へのインタビューで構成された下記コンプレックス誌の記事を参照。

キャリザ・サンチェス「The Untold Story of Pastelle, Kanye West’s First Clothing Line」Complex、2018年7月11日 https://www.complex.com/style/2018/07/kanye-west-pastelle-first-clothing-line-untold-story

26. デイジー・デュマ「Kanye West’s fashion fail: Rapper’s debut line slated by critics — but star refuses to go down without a fight」Daily Mail Online、2011年10月5日 https://www.dailymail.co.uk/femail/article-2045356/Kanye-Wests-fashion-fail-Rappers-debut-line-slated-critics.html

27. ダグラス・グリーンウッド「Yeezy Gap drops today」i-D、2022年2月24日 https://i-d.vice.com/en_uk/article/wxd7ey/yeezy-gap-balenciaga

28. ランドール・レーン「Kanye West Says He’s Done With Trump — Opens Up About White House Bid, Damaging Biden And Everything In Between」Forbes、2020年7月8日 https://www.forbes.com/sites/randalllane/2020/07/08/kanye-west-says-hes-done-with-trump-opens-up-about-white-house-bid-damaging-biden-and-everything-in-between/

29. 越後島のユニテについての記述をもとにした。『ル・コルビュジエを見る』108頁

--

--

That Shit Cray

小澤俊亮|1989年生まれ|書籍の編集|Twitter: @sh333zy